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これが「The・責任の取り方」。立憲民主党枝野幸男氏が代表辞任。政治・選挙においても勝負の世界は厳しい

勝負の世界はあらためて残酷で厳しいと痛感した。

 

10月31日の衆院選自民党公明党の与党側が快勝。議席数は自民党261、公明党32で合計293。対する野党では立憲民主党が96議席。公示前と比べて110から14議席と10%以上も減少。野党でも維新の会は11議席から41議席へと約4倍となり大躍進。野党、中でも立憲民主党にとっては大打撃といえる。

 

その結果を受けて11月2日に立憲民主党枝野幸男氏が代表の座を辞任すると発表。特別国会の閉会日をもって辞任するとのこと。

 

今回の衆院選では、立憲民主党が中心となって共産党社民党、土壇場でれいわ新選組が絡んで共闘する形になった。野党4党として共通政策をもって政権交代に挑んだ。選挙の前月には菅義偉首相が辞任し、自民党総裁選を経て岸田文雄氏が総裁を勝ち取り、10月初旬に正式に首相となった。奇しくも第100代でもある。

 

今回の選挙では、基本的には「コロナ対策」「経済対策」がメインの争点とみられた。だがメディアの報道とネット上の声を見ると、岸田氏率いる政権与党への賛否はくっきり分かれた。自民党公明党という与党支持者からは好意的な声が目立ち、野党側支持者からは厳しい声が見られた。特に野党側からは、安倍晋三菅義偉政権時代から引き続き「国民の命を守る気があるのか」という辛辣な声もあった。それだけにメディアの中には自公政権の苦戦を予想する記事も散見された。

 

選挙戦では東京8区、神奈川13区が注目された。従来は石原伸晃氏、甘利明氏が盤石だったが、序盤から苦戦が報じられた。そして石原氏は野党候補吉田はるみ氏に敗れ、比例復活ならず。甘利明氏も野党候補太栄志氏に敗れたが、彼は比例で復活。それでも最終的には自民党は厳しい評価ながら15議席減の261で「単独絶対安定多数」を維持し、文句なしの数字。一方で野党候補が大物クラスを破る選挙区もいくつかあったが、それでも最終的には14減の96で水をあけられた。

 

維新の会は戦前から躍進が予想され、公明党超えもささやかれたが、11議席から41議席と4倍近くのアップで公明党(32議席)を文句なしで超えた。この政党についても賛否が強く分かれているが、それでも大阪府を中心に地盤を固め、常に行政の合理化を唱え、徐々にその努力が全国に浸透していったのが実情。

 

そうした中、立憲民主党野党第一党ながら予想以上の苦戦。代表の枝野幸男氏も埼玉5区で自民党牧原秀樹氏に苦戦を強いられ、辛うじて振り切るのが精一杯。その後、まず福山哲郎幹事長が辞任を表明。そして枝野氏も引責辞任

 

この枝野氏への評価も実は厳しいものがあった。

 

長年続く自民党政権への不満を持つ有権者が増え、野党への期待は強まる一方、安倍晋三人気に圧倒され続けていたこともあり、旧民主党は求心力を失いつつあった。そんな中、2017年に枝野氏は心機一転、自身で数億円のお金を捻出してまで立憲民主党を立ち上げた。同年の衆院選では55議席獲得でいきなり野党第一党に。同情票も得て支持率も15%近くあり、今後の政権交代が期待された。

 

だが2019年からは支持率は10%を越えることがなく、自民党とは大差をつけられていた。同年の参院選では自民党議席数が減るものの、有権者投票率が48%しかなく、野党は力及ばず。

 

2020年になると、コロナウイルスが世界的に発生し、日本でもダイヤモンドプリンセス号の騒動以降、コロナ一色となった。そんな中でコロナ対策が国会で激しく論じられていたが、仕事を失った国民が増えていき、経済対策では右往左往していた。本来なら同年開催予定の東京五輪は1年延期された。その五輪開催にしても与党と維新の会は前向きだったが、維新以外の野党は概ね否定的だった。この五輪も含め、与野党で大きく乖離が見られた。

 

立憲民主党は20年秋には国民民主党との再編により、国民民主党から移籍してきた議員を取り入れ、新生立憲民主党となり、残った議員だけで縮小化した国民民主党が形成された。そして迎えた今年2021年には衆院選が行われることになり、立憲民主党共産党と共に与党への対決姿勢を強めた。国民民主党は「対決ではなく解決・提案」の姿勢で国会に臨んだ。

 

立憲民主党を中心とした民主主義の強調によって、ネット上を中心に野党を応援する声は強まった。だが衆院選では惨敗。野党共闘が間違いだったという声も聞かれるが、小選挙区制では各党乱立では与党には勝てない。だからこそ野党としての統一候補をぶつけるタイマン(一騎打ち)形式にした方が野党票は分散されにくく、勝機は高まると見られた。実際、自民党の大物クラスを数名負かすこともできた。野党共闘は仕組み的に理に叶っている。

 

そういう意味では枝野代表の功績は大きかったのではないか。共産党との共闘は支持母体の連合から不快感を持たれていたが、それでもギリギリ交渉決裂しないようにバランスをとっていた。相当の重圧はあったのだろう。だが勝負の世界は厳しい。負けた時は膿を出す為に何かを変える、リーダーを替えることも必要であり、枝野氏は責任の取り方のお手本を見せてくれた。

 

勝利した自民党でも辛うじて比例復帰した甘利明氏はせっかく岸田内閣発足に伴い幹事長に就任したのに、責任を取るために1か月で辞任。強面で有名な重鎮・麻生太郎氏が全力で慰留したが、自民党も勝負の厳しさや危機感は持っていたと言える。

 

コロナ対策で疑問を持たれていた自民党も今回快勝したとはいえ、甘利氏が幹事長辞任したような危機感を今後の政権運営で活かす必要がある。コロナ感染はだいぶ減少し、それも追い風だが、今後も慢心せずに頑張ってほしい。同時に立憲民主党は、まさかの惨敗と枝野氏辞任で打ちひしがれるのではなく、新たなベクトルを作って再浮上を狙ってほしい。

 

最後に。枝野さん、4年間本当にお疲れ様でした。