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マテウスの日々の思いをぶつける場

「対決より解決」「楽しむ」など対立回避が目立つ。これが現代のコミュニケーションのあり方。

前から思っていたことだが、コミュニケーションの様相が変わってきていると思う。

 

以前なら年長者や、会社では先輩・上司、学校なら野球部を筆頭に上級生の言うことが絶対視されていた。だが近年は命令や服従よりも敬意で人を見るケースが多い。年齢よりも純粋に「人として尊敬・信頼できるか」へのこだわりが見られる。そして最近はSNSによって、人同士が比較的簡単に関わりを持ち、つながりやすくなっているのも大きい。

 

例えばプロ野球の世界では、昭和の頃まではグラウンド外であっても他球団の選手と仲良くしていることを快く思わない監督やコーチが多かった。まして試合中ならば敵味方に分かれ、デッドボールなどを巡って乱闘になった場合、乱闘に参加しないと罰金というのも珍しくなかった。それだけチームの為には妥協を許さないということだったのだろう。

 

高校野球もやはり上下関係が厳しい。ちょっとたるんだ態度をとっただけで体罰というのは決して珍しくなかった。かつての名門PL学園野球部がその筆頭とみられていた。そして同校の卒業生はプロ入りしてからもとにかく上下関係に厳しく、あいさつがないと殴られるという話も聞かれた。要は監督や先輩の言うことは絶対という価値観が幅を利かせていたということだろう。

 

だが今となっては、自主トレにおいて他球団の選手同士、しかも学校の先輩後輩としてのつながりもなく合同でやることも珍しくない。それ以前に試合中の乱闘も年々減少している。高校野球でも、以前よりは体罰も減ってきている。この体罰の減少、上下関係が緩くなっているのは、SNSもさることながら、高圧的な態度をとる人への抵抗感もあるのだろう。

 

一つには、SNSで容易に各チーム・学校の評判が伝わり、上下関係をめぐるトラブルがあれば、一気に評判が悪くなるというのが考えられる。SNSがいい意味で抑止力になっているともいえる。もう一つには、かつてのようなスポーツを戦争やケンカ同様にとらえるのではなく、楽しむものと考える風潮が見られる。そして対決姿勢を前面に出し過ぎるのは時代遅れともいわれるようになった。昔ならありえない「楽しむ」ことが重視されているのだと思う。サッカーならば本田圭佑、90年代ならヴェルディ川崎の主力選手がお洒落でファッショナブルとみられていたが、日本でサッカーがプロ化されてからはそういった興行的ショービジネス要素も人気アップの一因ではないだろうか。とにかく「楽しむ」ことは大事だ。

 

あと、最近は「対決より解決」という言葉も散見される。特に政治の世界で聞かれる言葉だ。

 

国会では、野党が与党に質疑追求するが、その際にやたらとケンカ腰に見えることがある。現代では「楽しむ」「対立を避ける」のが特に若者にとって当たり前になっているが、国会論戦では与野党で論点がかみ合わない中で怒鳴り合っている印象があり、現在必要な争点でも意見の乖離が目立つ。

 

現代は多様性や寛容度が求められているが、それも必要以上に感情的に対立したり、特定意見を排除する勢力がいるからではないだろうか。世の中には、自分達(の主張・意見)が正しいと思い込み、合わない勢力を「愚か」と見下すケースもみられる。支持されてない人はなぜそうなったか、本当に正しい主張なのか自省することが必要だ。

 

SNSにしても、会社や学校などでの体罰・いじめ・セクハラ・パワハラを抑止する効果があるものの、反面、バイアスもかかっている。ツイッターハッシュタグが盛り上がることが何度かあったが、ネット上での盛り上がりが世間の、有権者全体の総意とは必ずしも一致しているわけではない。むしろSNSでの主張の強さ、声の大きさはかえって世間から乖離するリスクもある。

 

だからこそ「楽しむ」と同時に、「対決より解決」の姿勢が求められる。意見が合わない時は、「傾聴力」をもって相手の話を真摯に聞くようにしよう。その上で「自分ならこうしたい」というのを伝えていけばいいのではないか。何より、道理としていいか悪いか、現実的に可能か不可能か、という視点を持つことが必要。そこを重視して是々非々で対応していけば、建設的な議論ができるようになる。それが解決への一歩となる。