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WBCで日本代表が3大会ぶり世界一!その背景には「脱スパルタ・脱精神論根性主義」あり!

侍ジャパン、3大会ぶりのWBC優勝おめでとう!

 

今日22日、ワールドベースボールクラシックWBC)で日本代表が決勝の米国戦に3-2と勝利し、2009年大会以来、3大会ぶりの世界一に輝いた。

 

今大会では大谷翔平ダルビッシュ有、佐々木朗希、山本由伸、さらに戸郷翔征、今永昇太、髙橋宏斗など豪華な投手陣と、ラーズ・ヌートバーから始まり、近藤健介、大谷翔平吉田正尚、村上宗隆、岡本和真と続く切れ目なき強力打線がうまくかみ合った印象。その他の選手も己の役割を忠実に果たしたといえよう。何よりチームに高揚感と一体感が感じられ、1次ラウンドからノリノリでの快進撃。

 

そんな今回の侍ジャパンだが、私としては勝因の一つに「脱スパルタ・脱精神論根性主義」を挙げたい。

 

今大会の侍ジャパンはほぼ万全の状態に見えたが、打線では村上宗隆が序盤は波に乗れなかった。だが準決勝メキシコ戦の9回サヨナラのチャンスでしっかりと逆転サヨナラタイムリーを放ち、決勝の米国戦では2回裏に待望の1号本塁打。ネット上では一部批判もあったが、村上が決勝打を放つと「手のひら返し」の称賛が見られた。

 

何より、栗山英樹監督は最後まで村上を信じ、チームメイトも、取って代わる可能性のあった山川穂高は自分の方がマシなどと主張せず黒子に徹して見守った。こうしたチームの姿勢が村上にとって救いになったのではないか。さらには、村上自身も今大会序盤は今まで対戦していたプロ野球のレベルと異なる相手との対戦で違和感を感じていただろうが、慣れてきたことで徐々に打撃勘を取り戻したのだろう。

 

このような好循環が生まれたのは、単に栗山監督がチームの自主性を重視し、下手にいじらなかったのが大きい。そして野球界自体がかつてのような「スパルタ主義」「精神論根性主義」から脱却できた証拠。

 

過去には練習量を自慢したり、監督や上級生が他の部員を殴るなどの体罰が半ば当然といわれ、それでも高校野球では黄金時代を築いたチームもあった。とはいえ、時代が平成以降になるとさすがに体罰やスパルタはダメ、非合理的という声が強まり、高校野球では徐々にヒエラルキー(勢力図)が変遷していった。過去の強豪校も徐々に新興勢力に負けるようになり、勝ち負けよりも野球を楽しむことにこだわりたいと思う部員が増えていった。

 

さらに投手起用も変化がみられる。かつては「肘が曲がっても投げ続けろ」というほど、連投や多投が日常的だったが、高校で有名だった投手がプロ入り後大成せずケガでつぶれるケースが散見されたためか、近年の甲子園では球数制限が設定されるようになった。

 

投手に限らず、ケガをしても練習を休めないことが暗黙の了解とされていたこともあった。名門校ではレギュラー争いが過酷で、ちょっとでも気を抜くと二軍、三軍落ちは必至。監督は「そのくらいのケガで弱音を吐くな」と練習を強要することも。

 

だが無理解の指導者や環境下で無理をしても、ケガの影響でその後の選手生活を早い(若い)うちから断念することになるならそれはもったいないこと。あるいは選手自体がその競技を嫌いになることもあるだろう。過去のプロ野球でも、せっかくプロになりながら野球より遊びや酒に偏り、情熱を感じさせない選手がいたと思うが、恐らくは過去の忌まわしいスパルタ・精神論根性主義の反動があったのだと思う。

 

だが近年は、プロ野球選手は概ね練習熱心で、野球への情熱を感じさせないようなケースはあまり見られない。それはやはり野球界が徐々にスパルタ・精神論根性主義から脱却し、選手たちの個性や自主性が尊重され、本当の意味で野球を楽しめるようになったからだろう。その中でも大谷をはじめ、突出した好成績を残すスター選手は、早いうちから野球に一層のめり込めるような環境にいたのではないか。だからこそ苦境を味わっても野球を楽しみ、スランプがあっても打ち勝てるのだろう。

 

今回の侍ジャパンに限らず、逆境やスランプに打ち勝つほどその競技(仕事)に夢中になるためには、指導者や業界の側が非スパルタ・非精神論根性主義で楽しく、納得してやれる環境を整えてあげることが必要だと痛感。野球の場合、それが大谷や佐々木、村上のようなタレントを生むことにつながり、競技自体のイメージが向上し、野球を好きになる人が増える好循環を生むと思う。野球界だけでなく、人間社会でこういう考え方・やり方が徹底されることを願う。